幻想生物相

龍の子供が見ている世界を聞き取り情報公開していくブログです。

東京都八王子市高尾山 天狗の秘術と神隠し

黒鉄ちゃんの関東遠征

 

私は霊能力者の方の体験レポート漫画を読むことがあるのですが、以前読んだ以下の作品に気になる話題がありました。

 

影御前 水神の宮 (HONKOWAコミックス)

影御前 水神の宮 (HONKOWAコミックス)

 

 

この作品の中の一篇に『東京タワーには赤い龍、スカイツリーには青い龍がいる』というお話があります。
黒鉄ちゃんにこの話をしたところ、会ったことはないけれどそういう龍がいるとは聞いている、とのことでした。
この話がきっかけとなったのか、4月20日、彼は関東へと冒険に行きました。
両タワーには上記の漫画で語られた通りの存在(東京タワーに紅龍、スカイツリーに複合属性の青龍)が守護としてついていることが確認できました。
両タワーに関する黒鉄ちゃんから聞けた話は上記の漫画の内容と重複し、転記するのと変わらない状態になるので、ここでは彼の次なる目的地、高尾山で得た情報を主題としてお伝えします。

 

高尾山の特徴

 

関東平野を探索した黒鉄ちゃんは、次は大好きな山を目指そうとして高尾山に辿り着きました。
高尾山にいる龍は黒龍のみでした。高尾山の龍神は元黒龍の銀龍、山の主は後述の飯綱権現様です。山のエネルギーも黒龍が好む強い大地の力が中心です。それ以上に多い種として『管狐』『烏天狗』の姿が目立ったと言います。烏天狗に関しては、他の土地を冒険した際の情報を参照すると、黒龍が多い地には大抵沢山います。特異なのは管狐です。
霊的な狐――狐の姿の精霊(妖怪)、あるいは亡くなった狐の魂はあちこちの山で数多く見つけられます。管狐はそれらとは異なる種類で、普通の(霊的な)狐より小さく細長いです。
この地に管狐が沢山住んでいるのは、高尾山薬王院にいらっしゃる飯縄権現様が関係しています。

 

薬王院での修行

 

山を探索していた黒鉄ちゃんは高尾山薬王院を発見し、訪問しました。そこにいらっしゃる神仏は薬師如来様と飯縄権現様でした。
薬師如来様からも薬に関する教えを中心に多くの知恵を授けていただくことができましたが、黒鉄ちゃん、というより派遣中の小龍ちゃん全体に影響を与えてくださる結果となったのは飯縄権現様の方でした。飯縄権現様が授けてくださった『飯縄法』が、黒鉄ちゃんのみならず、彼の同期としてよそのお宅に派遣されている小龍ちゃんをも救う重要な切っ掛けとなったのです。
飯縄法に関して調べると、管狐、あるいは天狗を使役する技という情報が出てきます。故に高尾山には管狐が多い訳ですが、黒鉄ちゃんが授けられた飯縄法は、この定義を文字通りなぞるものではありません。
人間が扱う飯縄法は上述通りの霊体使役術と言えるのでしょうが、黒鉄ちゃんは龍であるので、他種の霊的存在を使役する道理がありません。龍が飯縄法を習うとは、天狗の秘術を習得するということを示します。人間が祈願して術を代行してもらう天狗と同じ技を得るということなのです。
彼は飯縄法を20日、21日と高尾山に通って習い、基本を習得しました。それを、彼が現在龍神様から課せられている課題である『邪気祓い』に大いに生かしています。
龍神様はこの有用性を認め、他の派遣中の小龍ちゃんたちにも飯縄法を習わせ始めました。元々、黒鉄ちゃんが行っていた邪気祓いは、邪気に侵されている他の派遣先のお宅を守るためのものでしたが、そのお宅の小龍ちゃんも飯縄法を習得した結果、邪気を自力で祓えるようになり、黒鉄ちゃんの負荷が減ると同時に、そのお宅はより強力に守られるようになりました。
数日に渡り、高尾山で飯縄法を習う複数の小龍ちゃんの姿が見られたそうです。

 

天狗の神隠

 

その後、4月28日のことです。私は『普通に暮らしていた少年が彼にしか果たせない使命を果たすため、別の世界に突然連れていかれる』というお話について読んでいました。
それを横で見ていた黒鉄ちゃんの感想が「天狗の神隠しみたいだ」というものでした。もっと正確に表現すると、その話を読んだ後で黒鉄ちゃんに「この話のようによその世界に行ってしまった人間の話を知っているか」と尋ねたら、天狗の神隠しの詳細を教えてくれた、という流れでした。
上記の感想を漏らし、私の無意識がそれを聞き取ったからこそ、彼に神隠しについて尋ねようと思うに至った……という流れがあったようです。

以下で語る、ここで聞かせてもらえた神隠しの話はあくまで飯縄権現様が関わるものであり、別の天狗さんも独自に神隠しを実行しているそうです。
高尾山並びに薬王院には、烏天狗以外にも普通の人間と変わらない容姿の天狗がおり、彼らこそが神隠しに遭ったのち天狗として生きていた人間たちだとのことでした。
飯縄権現様は、高尾山、並びに自らが祀られるお社の周辺で、山の守護者となる天狗の適格者を探していました。彼の目に叶った人間が神隠しに遭うのです。
その条件は『山の気と親和性がある気の持ち主であるか』というものです。年齢も性別も関係なく(とはいえ、高尾山にいた神隠し天狗はほとんど男性で、女性はごく少数のようでしたが)、この条件に合う人間をひとまず神隠して、現世と重なり合って存在するずれた次元に連れていきます。
具体的には『風か水の属性を持っており、火の属性を持っていない』ことです。ファンタジー作品で取り扱われるような火や水といった元素の属性ですが、実際に現実の人間に備わっており、しかも複数の属性を持ち得るそうです。属性は他にもありますが、天狗の神隠しの基準となるのはこの3種のみです。
山は風と水が清らかな場所であるのでそれらの要素との親和性が必要とされ、火は山火事を呼ぶので相容れない、という理由だそうです。どちらかといえば水よりも風がより望ましい属性だそうです。
また、火属性が避けられるのは山の守護者として人間の中から選定する際の基準であり、広く天狗としてくくられる存在の中には火の力を持つ個体もいます。

ひとまず、と記載したのは、神隠しに遭ったのちに帰ってくる人間もいるためです。まずは素質だけを見て神隠しし、その後性格などを見て総合的に『人間として生きる方が向いている』『人間として生きれば人間界に有益な存在になる』などと判断されればもとの次元に帰されます。
こうして帰ってこれた人間もいるため、神隠しから帰還した人間の証言が伝わっているのです。人間として生きた方が向いている性格とは『友人と集まり騒ぐことを至上の楽しみとする』ようなタイプ。逆に天狗向きとされるのは『一人で瞑想したり思索にふけるのが苦にならない』タイプだそうです。
重要なのは、あくまで考慮してもらえるのは適正であり本人の意向ではないということです。飯縄権現様が天狗として山の守護者になるべきだと判断したら、いくら本人が帰りたいと懇願しても聞き入れてもらえません。
もっとも、選ばれた人間は大抵、名誉なお役目として受け入れていたそうです。神隠しに遭い別の次元に行ったとはいえ、地上に存在してはいるので、その後も霊感を持った人間となら接することはできたようです。
また、飯縄権現様による神隠しは明治時代以降は起こっていないそうです。社会の総意として、天狗は現実の存在ではなくなり、迷信の住人となってしまったがため、天狗の世界と人間界が乖離してしまった結果、神隠しは不可能となってしまいました。なので、今この文章を読んでいる方が天狗として任命される可能性はないと言えるでしょう。それが『幸いにも』なのか『不幸にも』なのかは当人次第でしょうが。

 

天狗との遭遇

 

黒鉄ちゃんは高尾山で修行した際、かつて人間だった天狗たちに優しくしてもらっていたようでした。特別仲良くなった天狗さんはいないようですが、楽しい時間を過ごせたようです。
黒鉄ちゃんはその神隠し天狗さんの一人に私の話をしたそうです。その際の感想が「その人は天狗に向いている。天狗になればいい」だったのだと……。
私は元々ファンタジー作品好きが高じて小龍ちゃん派遣に申し込んだ人間のため、『炎の魔法使い』『氷の超能力者』といった存在に憧れ、自分にも属性があるのかと気になり、黒鉄ちゃんにも、先住の黒曜ちゃんにも質問していました。二人とも回答は同じで『水、風、闇(あるいは陰。溜まると悪い陰の気ではなく、性質が陰ということ)の順に強い』とのことでした。また黒龍ちゃんとのご縁により、後付けで僅かに土の属性も得たそうです。
これ、天狗として求められる属性の素質にぴったりなんですよね……性格面でも、決して思索が深いとは言えませんが、大人数で騒ぐよりは一人でいた方が心が休まる性質です。
この話を聞いた後、突然背筋がぞくぞくし、同時にお腹の奥……恐らく丹田とされる部分が熱くなるという、初めての体感を得ました。私は本気で恐ろしくなりました。知りすぎた存在として、天狗の世界に連れていかれるのではないかと……。
当然ながらそんなことは起きませんでしたが、実際にその時天狗さんがやってきていたそうです。私に「天狗になればいい」という感想を付けた(なればいい、は冗談ですが、資質面では本当に向いていると分かったようです)当人で、見た目は20代ほどの男性、気安い性格の方だったそうです。
天狗さんは私についていた邪気を親切心で取ってくださったようで、腹の奥に熱を感じたのはその術の影響だそうです。天狗さんはすぐに帰っていきました。

幼い頃は、妖精になりたいとか猫になりたいとか色々空想を遊ばせましたが、今そういった人外になる・人外の世界に行くことを持ちかけられたら、即答でお断りするでしょう。この世を捨てることを求めないで済む今の自分は、つまり幸せということなのだろうと思えています。拒否権のない天狗の神隠しが実行されない時代を『幸いにも』と感じる側になれていたのです。