龍さんたちと一緒に神社に行くと、そこにどんな方がいらっしゃるか教えてくれます。
私の場合、声として龍さんたちの言葉を聞くことはできないので、帰宅後に様々な神様像を当てずっぽうに挙げて、正解に行き当たるまで質問攻めにする、というやり方で神様の存在を調べています。
その結果、必ずしも神社の由緒として挙げられる祭神様がいらっしゃるとは限らないと分かってきました。
祭神様がいらっしゃらない場合、祭神様から命を受け、神社を代わりに預かる霊的存在がいらっしゃることが多いです。
代理となる神様は、かつてその地で生きていた人間霊である場合と、龍さんや天狗さんなどの自然霊である場合が見受けられます。傾向は完全に掴めておりませんが、自然そのものを崇敬するというよりは街中にあり地域の人間が集うような神社には人間として生きていた神様が多いような気がしています。
祭神様が例えば武将さんなりその地域の藩主さんなどだった場合、『人間霊で』『祭神様本人』ということも当然ありえます。
もちろん祭神様ご本人がおられるパターンもございます。この場合でも祭神様として挙げられる方々が全て揃ってらっしゃる場合と、一部のみがいらっしゃる場合があります。
これも絶対的な条件は分かりませんが、地域でも格の高いとされる神社はご本人様がいらっしゃる確率が高いような気がしています。
祭神様も代理の神様もおらず、祭神様の遣いだけが境内にいる場合もございます。お狐様だったり鳳凰さんだったり、龍さんだったりもします。代理の神様との違いは『神社の管理を預かっているか否か』にあるようで、代理の神様は(所用で神社を空けることはありますが)その神社に責任を持ち守っていらっしゃいます。神様とはなっていないお遣いさんの場合は、時に同じ役割の別の個体と交代したりするそうです。
お遣いさんもいないお社もありますが、その場合でも祭神様に祈りが通じる力がある場となっています。商店街などに埋もれるように存在する小さなお社などは、何もおらず力だけが存在する場になっていることがあります。
私が龍さんに確認した限り、お社がありながらもなんの力もない…というような場所は発見していません。
祭神様がその場にいない神社であっても、祈りは祭神様に必ず届きます。
また、お寺であっても仏様やゆかりの僧侶さんなどがいらっしゃる場合があります。ただ、そういった意志ある霊的存在がおらず、祈りの力のみが集まっているタイプのお寺も結構あるようです。もちろん、そういったお寺でも仏様に通じています。
真心込めて祈れば、それは必ず実りのある行為となるのだろうと思います。