幻想生物相

龍の子供が見ている世界を聞き取り情報公開していくブログです。

ウサギの『姉妹』と強い縁、弱い縁

今回は龍そのものの話題ではなく、龍が見た私の周辺の話です。

ある日、夜間に目が覚めた際、腹部に何かが乗っているような重みを感じました。単に布団の乗り方のバランスが悪かったのかもしれませんが、黒鉄ちゃんに「夜に何か霊的な存在が腹部に乗っていたか」と尋ねました。そうしたら、かつて飼っていたウサギの霊が乗っていたと教えてくれたのです。
私の実家ではこれまで二匹のウサギの飼育経験があります。共にメスです。一匹目は茶色いミニウサギ『きなこ』です。2006年頃、子ウサギの状態から飼い始め、2014年8月2日に亡くなりました。当時は両親も働いていたため、私が主に世話をし、また当時まだ生きていた祖父と同じ空間で過ごしていました。
二匹目はやはり茶色く(厳密にはリンクスという毛色)、ミニレッキスという密で柔らかな毛並みを持つ品種です。名前は『くるみ』、推定2017年5月上旬生まれ、お迎えしたのは同年6月22日。今も元気で両親に可愛がられています。
この初代ウサギ、きなこの霊が私の体に乗っていたというのです。そのことを聞き取った時点でもまだ私の部屋にいて、甘えてきていたとのことでした。
生前、もちろんきなこの世話をさぼったりはしていませんでしたが、それでも彼女を本当に全身全霊で愛せていただろうか、という悔いは彼女を失ってから改めて感じていました。惰性の付き合いになってはいなかったかと。愛が足りないと感じさせていなかっただろうかと。
それが、亡くなってからも私を忘れずにいてくれているだけでなく会いに来てくれてすらいると聞いて、本当に泣くほど嬉しかったです。

……と言いつつ、きなこが地上に戻ってくる一番の目的は、私に会うことではなく、くるみを見守ることです。きなこはこの世を去った後、浮遊霊・地縛霊として居残るのではなく、祖父(2012年に亡くなりました)の居る『ご先祖様の世界』で祖父と共に過ごしていたそうです。
やがてくるみを飼い始めたことで、きなこは彼女を妹と見做すようになり、くるみと遊ぶために地上に時折降りてくるようになったということです。
その話を聞いた時に浮かんだ情景が、きなこがくるみに毛繕いをしたり、幼少時に足を痛めて以来時折歩行のバランスを崩すようになったくるみを労わる光景だったのですが、黒鉄ちゃんによれば大体その通りなのだそうです。
なお、くるみは『ウサギの霊がいる』と認識はできないものの、生きた人間とは違う見えない何かに愛されていることは感じ取っているとのことです。ちなみに黒龍ちゃんたちの存在は気配を感じて怖がっているそうです。
私がこの話を聞き、きなこの魂の存在を認知したことで、彼女の行動が変化しました。これまで『たまに地上に降りてくる』程度だったのが、この話を聞いて以降は毎日地上にやってくるようになったそうです。
当然くるみのもとに立ち寄りますが、毎朝私の部屋にも現れるようになったらしいです。来たこと・部屋のどこで何をしているかを感じることはできませんが、空振りであってもきなこをイメージして撫でるそぶりをすれば、撫でたと同じことになって喜んでくれるそうでした。くるみがケージの外で遊ばせてもらっている時間にきなこもやってくるようです。

私はくるみをお迎えした経緯について、ある心残りがありました。ペットショップのくるみが入っていたケージにはもう一匹ウサギがいました。母と私で飼うウサギを選びに行き、私が決めていいとは言われていたのですが、母はもう一匹の方に「顔に丸みがあり可愛い」と言い惹かれていたようでした。でも私はくるみの絶妙な毛色と毛並みの柔らかさに惚れ込み、くるみがいいと強く主張したのです。
母は仕事を引退していたので、主に世話するのは母となる見込みでした。母と長く付き合うウサギなのに、私がお迎えする個体を決めて良かったのか。縁を捻じ曲げてしまったのではないかというしこりを感じていたのです。
黒鉄ちゃんは「間違えていない」と言いました。というより、間違えようがないのだと。他の選択肢を許さない程に、母とくるみの間には強固な縁が最初から、くるみが生まれた時から存在していたというのです。
龍は縁の存在が確固たる事実として見えているそうなのです。深く付き合いを持つ相手との間には縁が結ばれているといいますが、この縁にも強弱があるらしいです。
弱い縁は『出会わない選択肢を選べるが、出会ってしまったら必ず引き合う』。この場合だと、そもそもウサギを飼うことを検討せずペットショップにすら行かない、ということが可能であるという意味になります。
強い縁は『出会わない選択肢すら選べない』。くるみと母の間に強固な縁が初めから存在する以上、母は必ずウサギを飼う決意をし、そのペットショップに赴き、私がいてもいなくても、何を言っても結局はくるみを選ぶ宿命なのだと。私がくるみがいいと強く主張したくなったのは、縁を違えそうになる(それ自体不可能であるそうですが)ことへの拒絶反応だということです。私ときなこの間にもまたこの強い縁があったそうです。

そういえば、くるみをお迎えするにあたり不思議な巡り合わせがありました。最初は飼う決意をしないままペットショップを訪れ、その時にくるみとは別の気になるウサギに出会いました。その子を迎えようと決意して数日後同じペットショップに赴きましたが、その子は既に他の家に迎えられた後でした。ペットショップの方に気になっていたウサギの件について話したら、数日後にミニレッキスが入荷するのでその子を見て検討してはどうか、頭が良く根強いファンがいる品種だ……と。そうして出会ったのがくるみでした。回り道をしたようで、しっかり出会うように誘導されていたのですね。なお、一緒にケージにいたもう一匹のこともくるみはちゃんと覚えており、弟のような存在だと思っているようです。
母と縁があるということは私とも必然的に縁があることになりますが、くるみの持つ縁の主体は母、きなこの場合は私だったそうです。
人間と動物が愛し愛される飼い主とペットとして結ばれる時、そこには必ず抗えない強固な縁が存在している、と黒鉄ちゃんは言います。そのことをペットと暮らす全ての人間に意識してほしいと彼は望んでいます。
母に撫でられ、抱かれ、おやつをもらうくるみはとても幸せそうです。言われてみれば、それを見てなお縁がないなんて言えるはずがないのです。私は不要な心配をずっと引きずってきていて、黒鉄ちゃんの言葉を聞くことでやっとそれを手放すことができました。これもまた黒鉄ちゃんの修行の一環となったそうです。