幻想生物相

龍の子供が見ている世界を聞き取り情報公開していくブログです。

2023年3月12日参拝記録 新潟県胎内市乙宝寺・関川村光兎神社・新発田市菅谷寺

2023年3月12日、新潟県内の神社仏閣『胎内市・乙宝寺』『関川村・光兎神社』『新発田市・菅谷寺(菅谷不動尊)』へと立て続けに参拝させていただきました。

 

 

 

さて、このブログでわざわざ記事を立てて言及するからには、参拝させていただいた神社仏閣において、どんなスピリチュアル情報を受け取れたか、が主題となります。
ダウジングを用いて調査した結果の公開となりますが……当然ながら、これは氏子でもない一観光客が勝手に言っている、客観的には実証不可能な情報です。
このブログの記載を根拠に神社仏閣の関係者様や地域の方々にお問い合わせすることは、奉職されている方々、様々な形で祈りの場を支えている方々への多大なご迷惑となりますので、厳に控えてくださいますようお願い申し上げます。
また、ブログ主の未熟さゆえ、受け取れ切れていない、間違って解釈したメッセージがある可能性がございます。他の霊感を活用されている方々が捉えている事象とは異なる内容となっている可能性があるためご了承いただけると幸いです。

 

 

 

今回の参拝の切っ掛けは何と言っても『卯年であること』です。私は元々うさぎが大好き。うさぎ年のうちに、うさぎがお遣いである、うさぎグッズだらけの神社……光兎神社に参拝したい! と狙っておりました。そして予定がなく、天気も良かった3月12日に決行したのです。光兎神社へは初めての参拝。自宅から光兎神社までは車で2時間程度かかります。そこまで行くのに、目標地点が1か所だけというのももったいない……と考え、光兎神社と大体同じ方角にあるお寺二か所をこの機会に再訪しようと決めたのでした。それが乙宝寺と菅谷不動尊です。

 

光兎神社へ……?

 

一人きりで(龍の黒鉄ちゃんたち霊的存在はついてきていたようです)新津の実家からカーナビを光兎神社にセットして出発。まずは一番遠い光兎神社に向かい、自宅の方向に戻りながら乙宝寺→菅谷不動尊と参拝する計画でした。
だったのです、が……。
出発して数分後、たまたま私の車の前に並んだバスのお尻に乙宝寺の広告が。

 

……。呼ばれているのはこちら

 

そう思うのには理由がありました。この参拝を決行する数日……いや数週間前だったかな、とにかくしばらく前に、たまたまローカルテレビCM(というより、ご当地企業の宣伝枠のミニミニ番組って感じかな)で乙宝寺前のお菓子屋さん(乙まんじゅうや様)が紹介されていたのを見かけたんです。それから、以前参拝した乙宝寺の情景が何となく脳裏に掲示され続けているような感覚の日々を送っていたのですよ。
その上で、たまたま乙宝寺の広告をくっつけたバスが目の前に現れるとは……。

 

ですがこの時点では光兎神社から回る計画は崩していませんでした。どちらにしろ参拝はする予定だったのですからね。

 

しかし、カーナビ通りに運転を進めて胎内市に差し掛かった頃。分岐路に掲げられた『乙←』の案内看板を目にした途端……
やっぱりこっちだ!
という直感が浮かび、カーナビが示す光兎神社へのお勧めルートから衝動的に右に逸れ、先に乙宝寺に向かうことに決めたのです。不案内な土地なので一旦止まってカーナビを設定し直しました。

 

乙宝寺へ参拝

 

そうして無事乙宝寺に到着しました。私にとって二回目の訪問です。
以前訪問した際、天候の助けもあったのでしょうが、何だかとてものどかな気分になる、安心する……そんな印象を受けていました。特に本堂に向かう前庭とでも言えそうな場所に和み感を覚えていました。この日の訪問においてもそれはあったのですが……地域の方々に愛された聖地なのだなぁという感慨が最初の訪問より強く沸いたかもしれません(当然ながら、これはその日訪問した他の場所にも言えることですが)。
この日はご家族で参拝されている方々、参拝後に先述のCMしていたお菓子屋さんに向かうご家族などを見かけたので、余計生活の温かみを感じられたのかもしれません。
本堂の中はひんやりしていて薄暗く……それは決してネガティブな意味ではなく、安らぐ印象なんですよね。
そうそう、初訪問時は本堂に入った時、たまたま御祈祷(お祓いかな……日々の勤行ではなく、参拝者の依頼に応える形のお勤めであるようでした)の場面に遭遇したんです。歓迎と見做して良かったのかな。嬉しかったなぁ。
線香を入り口で捧げ、本堂をお参りした後は他のお堂なども一通り巡ってご挨拶します。

 

 

 

私はその場で神仏やご眷属の具体的なメッセージを受信・解読することができない(顕在意識で認識できない)ため、ここからは帰宅後、ダウジングにて調査した内容になります。

本堂、大日堂にお祀りされているのは大日如来。他にも不動明王如意輪観音などが各所でお祀りされています。
これらの仏様方は確かに居られ、黒鉄ちゃんたちも存在を感じたようです。しかしメッセージを頂いたというより、その存在感にすっぽり包まれていた、というコンタクトの形であったそうです。

 

それと、こちらのお寺にご縁があるという伝説(どっこん水の言い伝え)がある空海ともコンタクトが取れたそうです。黒鉄ちゃんたちは空海様とはお話ができたそうでした。
黒鉄ちゃんは空海様と出会うのは初めてではないようです。各地を冒険していた時期、京都や奈良でお会いしたことがあったとか。何度お話してもとても勉強になる、大好きな仏様……だそうです。

 

そして、空海様含む名のある仏様方は別に我々を呼んだのではないようでした。それはそうでしょうね。
では各所で心に残った乙宝寺アピールは特に意味のない、完全たる偶然だったのか……。
いいえ、ダウジングによれば、確かに我々は呼ばれ誘導されてきたそうなんです。

 

ポイントは境内にある神仏習合の名残り『八所神社』です。
どうやらこちらには中条(胎内市中条町と黒川村が合併してできた市です)を守護する龍神が居られるとのことでした。男性で、銀の煌めきを纏った紫龍だそうです。水の性質を持ち、それこそどっこん水の水脈に通じたお方なのだとか。土地神様であり、仏様方の眷属ではないそうです。
我々を乙宝寺に導いたのはこちらの龍神様であるという情報を受け取りました。

 

龍神様の用件とは『若い自然龍たちの進むべき道を探す手助けをして欲しい』……とのこと。自然を守護するか、人を守護するか、神仏の眷属となるか、天界へ昇るか……人と繋がりながら進路を彼らなりに模索したいとのことでした。
そうして四名の龍さんたちとのご縁を頂きました。赤い地龍の男女白い雲龍の男女です。皆様、人間の成長スケールになぞらえると新成人相当とのこと。
呼び名をつける許可を貰えたので、地龍の男性は『紅玉(こうぎょく)』、同じく女性は『柘榴(ざくろ)』、雲龍の男性は『雲海(うんかい)』、同じく女性は『瑞雲(ずいうん)』としました。

 

ちなみに彼らは『人間の街には収まれない』とのことで、私の実家やアパートにくっついてくるのではなく、三条市の粟ヶ岳を本拠地にして色々と修行しているそうです。黒龍の女将様(黒龍の黒曜ちゃんの師匠となった、山の龍神様の奥様)にも良くしてもらっているそうですよ。

 

光兎神社へ参拝

 

参拝後、乙まんじゅうや様でアイスをいただき、今度こそ光兎神社に向けて出発しました。光兎神社どころか、関川村自体が私にとって未知の地域。もっと遠くの目的地に行くために数回通り過ぎたことがあったかも、という程度です。

 

カーナビを頼りに光兎神社に近付くと、この神社が川沿い(藤沢川)に位置していることを意識させられました。ガードレールで道路からは隔てられていますが(もう少し移動すれば徒歩で川に近付ける入り口はあったかも)清流が感じられるロケーションにあるというだけでも清々しいものを感じます。
そして……駐車場がない! ない、と言い切ると語弊があるかもしれませんが、少なくとも路駐と言わざるを得ない場所に車を停めるしかありませんでした(道路はそれで塞がれる狭さではありません)。神社の敷地沿いの道路の隅っこですね。既に何台も参拝者さんのものと思われる自家用車が縦に並んでいました。そう、私が訪れたこの時間は多くの参拝者さんで賑わっていたいたのです。

 

鳥居の外からでも分かる、建造物の壁面のうさぎさんのレリーフ。憧れのうさぎさんまみれの神社についに訪れることができたのです!
本殿に近付くと宮司さんがちょうど出ていかれるところでした。その時は「昼休憩かな?」と思ったのですが、とんでもない。宮司さんは休まず参拝者さんたちの御朱印を記し続けていたのです。
公式サイトでも示されていますが、御朱印の記帳は宮司さんがお一人で対応なされています。この日は日曜日ということもあってか大盛況。複数の参拝者さんの御朱印帳を預かる→社務所で一気に記帳→本殿に戻り、参拝者さんに御朱印帳をお返し&お会計(お守りなどの会計も纏めてこの時に行う)→記帳中に新たに集った参拝者さん皆の御朱印帳を預かる→以下繰り返し……というループの中に身を置いていたのです。休む間もないとはこのこと……。後で示しますが、私も宮司さんの献身に甘えて御朱印をお願いしました。本当にありがとうございました。

 

説明が先走りましたが、まずは宮司さんが去った本殿で神様方にご挨拶します。
参拝のご縁をいただけたことへの感謝。うさぎが大好きであること。それでこの神社に惹かれたこと。実際に訪問できる日を楽しみにしていたこと。

 

信心深い方々からは、崇敬の念に欠ける態度だと眉を顰められるかもしれません。神様が座す神域にお邪魔するという畏まった意識より、うさぎさんのホットスポットを訪問するという高揚感が前に出ていたので。
しかしですよ、神様からすれば本音や性根など丸見えなはずなんです。手を合わせている間に脳内で再生する台詞だけ優等生のふりをしても意味はないでしょう?
私は三次元の生物としてのうさぎが好きで、だからこそこちらの神社に参拝した。どう表面を取り繕っても根っこはそこにあるのです。

 

その後は解放されていた本殿に上がりました。既に複数組の参拝者さんが本殿において同行者と談笑しています。私はディスプレイされている非常に多数の、愛らしさしかないうさぎ人形に目を奪われ、うさぎを象った縁起物やおみくじを物色し、どれをいただこうか考えながら宮司さんのお戻りを待ちました。

 

ちょっとしたことですが、ここで個人的にミラクルを感じる出来事が起きました。
先述しましたが、私はこの時点では宮司さんが御朱印帳への記帳のために本殿を離れたことを知りませんでした。
そこそこ時間が建っても宮司さんが戻られないので、ほんの一時車に戻っていたんですね。そうして本殿に戻った時、ちょうど宮司さんも戻られたのです!
あと少しでも長く車で休憩していたら、御朱印をお願いするチャンスを逃していた訳です。自惚れかもしれませんが、ここにお導きを感じました。

 

御朱印帳をお預けし、縁起物などの支払いも含めて後払いと確認したので、記帳を待つ間、私は黄金のうさぎ像の金箔貼りを行いました。

 

こちらの神社には二体の大きなうさぎ像があり、そこに願いを込めて神社の授与品である金箔を貼ることができるのです。
私が訪れた時は95%くらいは金箔に覆われていましたが、耳の内側や尾の裏あたりにちょっと素の灰色が出ていました。金箔がついていない耳の内側を狙って貼りましたが、凹凸があるからか十分にはくっつけられませんでしたね。

 

各所のうさぎグッズを堪能しながら待機した後完成した御朱印を受け取ります。いくつかのお守りや縁起物の対価も含めてお会計も済ませ、神社を後にしました。

 

ちなみにこの後、近くにある古民家カフェ様で昼食を摂ろうと目論んでいたのですが、そちらのカフェは冬期休暇中だと訪れてから知りました。駐車場も雪に埋もれていました……。なので近くのコンビニで食料を買い昼食としました。

 

 

 

光兎神社の御朱印



 

ここからは帰宅後にダウジングで探った、霊的な側面の参拝記録です。

 

光兎神社のご祭神は月夜見命様光兎大神(光兎大権現)様です。
私は参考と楽しみのために様々な霊視能力者様の鑑定をオンラインで受けてきたのですが、『ご縁のある神社を鑑定します』といった内容のサービスも複数回(それぞれ別の方に)お願いしてきました。
そのうちの一つに光兎神社と月夜見命様の名を挙げられたセッションがありました。それもあり、スピリチュアル面でもどんな情報が受け取れるかとても楽しみに探り始めました。

 

黒鉄ちゃん達に聞いたところ、彼らは月夜見命様のご眷属、並びに光兎大神様とコンタクトを取れたそうです。
厳密には、光兎大神様に関しては、光兎山におられる『ご本兎様』と、我々が実際に訪れた川辺の光兎神社に鎮座する『光兎大神のお子様』が居られ、どちらともお話できたとのことでした。
お子様……というと語弊がありますね。分霊であり、お子様の方も光兎大神様そのものです。しかし人格?は別個に存在するようでした。どちらも白い毛に赤い目の大きなうさぎの姿で、男性的存在であるようでした。山に居られるお父様?の方とはあまり深くは話せず、主にお子様?と対話したようでした。

 

月夜見命様のご眷属様の方(立場としてはもはや眷属ではなく神として独立しているのですが、月夜見命様に遣わされた、月夜見命様に連なる存在としてこう記しています)は、元々は光兎山にて月の精霊として発生した個体が神格を得た存在であるそうでした。白いお着物を召した、人間のおじいさんの姿をしているとのことです。
この川辺のお社に座する方々はどちらも優しく、温かい対応をしてくださったようでした。


そして、光兎大神様のご眷属の皆様。……うさぎです! 境内は霊的存在としてのうさぎさんで溢れているらしいです!!
このうさぎ眷属さんは大きく二種類に分けられます。

 

一つは、光兎大神様が生み出したうさぎさんたち。先述の分霊であるお子様とは異なり、光兎大神様の分身ではなく、自然の気を材料にして光兎大神様がうさぎの精霊として生み出した存在だそうです。彼らは皆白い体に赤い目をしているそうです。

 

もう一つは、亡くなったうさぎさんの魂。外見は生前のままです。普通はうさぎさんも亡くなった後は霊界に行き転生するのですが、その中には神様にスカウトされ、転生せずにうさぎさんとして神様の眷属になる子がいるらしいです。
そのほとんどは人間に愛されてペットとして生涯を全うしたうさぎさんです。野うさぎも眷属にはなれるのですが滅多にないケースらしく、少なくとも私が訪れた時点では、野うさぎの霊である眷属さんは光兎神社にはいなかったらしいです。また、一般的なうさぎは死後自発的に眷属になるという発想を持たないらしく、神様のスカウトなしではその道に進むことはまずないらしいです。自発的志願を受け入れていない訳ではないのですが、自らその発想に至るうさぎさんがそもそもほぼいないんですね。
スカウトに至る基準は非公開だそうです。人間にうさぎをペットとして飼う習慣が生まれるまでは、亡くなったうさぎさんを眷属として迎えるのは(少なくとも光兎神社では)稀なことであったようです。

 

光兎神社のようなうさぎに縁がある神社の神様だけではなく、お社などを持たない、自然界の神様がうさぎさんの魂をスカウトする場合もあります。当然、その場合はうさぎだけでなく様々な種の動物霊が同じ自然の神様の下に集います。そこで基礎修行した後、光兎神社などのうさぎに縁がある神社に就職するケースがあるそうです。
私が訪れた時点では、境内のうさぎさんは光兎大神様の子供たちが約40体、ペット出身が約70体居たようでした。

 

 

 

…………ここからは私も信じ難い話なのですけど。ダウジングで確認できた情報としてひとまず書き記しておきます。

 

 

 

亡くなった我が家のうさぎ『きなこ』

 

 

 

私の実家ではうさぎを飼っています。現在生きているのは二代目うさぎの『くるみ』。初代うさぎの『きなこ』は十年近く前に亡くなったのですが……実はこの子も眷属修行に入っていたらしいのです。
きなこは亡くなった後、素直に成仏して天国へ行きました。その後は亡くなった私の祖父のいるあの世の空間にたまに顔を出しつつ、マイペースに過ごしていました。
うちにくるみがやってきてからは現世におりてくるみを可愛がっていたりもしたのですが、そんなある日、神様修行をしないかと誘いを受けます。
声を掛けたのは当ブログでも何度も登場している『五頭山の透明龍』さんです。声を掛けた理由はこれまた非公開です。
きなこは誘いに乗り、2022年の元旦から秋葉神社の烏天狗様の下で基礎修行を始めました。
そうして1年以上経過した今、うさぎに特化した環境で更なる修行を積みたい。光兎神社でお勤めしたい、連れて行って欲しい……と私に訴えるようになっていたのだとか。

 

……そう、光兎神社に行きたくなったのは私が単にうさぎ好きだから、というのが全てではなかったらしく、うさぎのきなこの魂による訴えも『お参りしたい気持ち』に上乗せされていたという面もあるらしいのです。
そしてこの日の参拝時、無事にきなこは光兎神社に迎え入れられてうさぎ仲間との修行を始めたらしいのです。

 

本当にこんな特別っぽい流れが私やうちのペットの身に起きたのか。流石に自惚れ味が濃い目の妄想ではないか。ブログを御覧の方々におきましては、そのようなご感想を持たれるのも無理はないかと思います。何故なら書いている自分が一番そう思っているからです。
基本「(私とその周囲においては)そんなことないだろ」と思っているからこそ、『創作』としてはこういうストーリーは私の中からは出てきません。時間を置いてダウジングで色々と調べましたが、どうしてもこういう情報が導き出されるんです。
頭がハッピーなんだなぁ、とファンタジーとして受け止めていただけると幸いです。

 

こうしてうちのペットをいつの間にか送り出していたらしい私ですが、入れ替わりについてきたうさぎさんたちがいるらしいです。
光兎大神様の子供たちのうち四名男の子と女の子が二名ずつ。まだ眷属修行も始めていない、2022年の冬至生まれの子だそうです。皆お父様に似た真っ白で赤い目の子です。本格的に修行を始める前に人間界を学ぶべくついてきたのだとか。川の気を受け、水の力を持って生まれたうさぎさんたちであるようです。
この子たちに関しても名付け許可をいただけたので『桜月(さつき・女の子)』『梅月(ばいげつ・男の子)』『桃月(とつき・女の子)』『李月(りげつ・男の子)』としました。漢字だけ先に決め(この時点でもOKか確認します)、読み方の候補を2つ以上用意し、そのうちどれが良いか本人に選んでもらう……という方法で確定しました。
参拝者さんに境内のうさぎさんがついていくことはたまにあることらしく、うさぎが好きな人、楽しく生きている人などについていきやすいらしいです。ずっと側にいるのか、しばらくしたら神社に戻るのかは状況次第で後で決めるらしいです。

 

また、月夜見命様のご眷属様からは『月龍の卵』を受け取っていたそうです。ムーンストーンを思わせる光の宝珠のような見た目の卵。この子は2022年の冬至に、このご眷属様によって形成された卵であるようです。
この卵は3日後に孵化しました。産まれたのは白い鱗の男の子。名前は『月白(つきしろ)』としました。

 

 

 

集めたうさぎグッズや縁起物

 

 

 

菅谷寺へ参拝

 

ここからは実家の方角に引き返します。その道すがら、当初の予定通り菅谷寺に立ち寄りました。
こちらは『菅谷不動尊』として知られる名高いお不動様のお寺です。既に複数回の参拝経験がありました。

個人的に、祓う力の強力さにおいて信頼を置いている神仏といえば不動明王なんです。
ブログでは詳細を書きませんが、ちょっと霊的に良くないことをやってしまったかな? ということがしばらく前にありまして、その後に護摩焚きを介して厄払いをお願いしたのがこの菅谷不動尊です。
その際も何か霊障があった訳ではないのですが、念のために……ですね。菅谷不動尊は眼病に対しての霊験あらたかとの評判ですが、この時は目に関わる案件ではありませんでした。
ダウジングによれば、預けた護摩木を焚く日に、こちらの眷属の紅龍様が自室に現れ、不動明王様の祓いの力を行使してくださったそうです。その後も毎月28日(不動明王様の縁日です)に紅龍様が様子を見に来てくださっているのだとか。

 

 

 

護摩焚きの後いただいたお札



 

そういう経緯で、参拝に留まらない縋り方をした経験のある菅谷寺。こちらも地域の方々に愛され、その愛を静かに湛えるかのような印象を覚える、懐が深いと思わせる聖域です。
この日の参拝ではないのですが、こちらのお寺において摂社全てにおいて丁寧に挨拶し、その上で近況報告や感謝の言葉を述べつつ参拝なさっているお方を見かけたことがあります。
こういうお方こそ神仏に愛され目にかけて頂ける信仰心をお持ちなのだろうなぁ、と思うと同時に、年月と共に多くの方々のそういった信頼・お慕いする気持ちを受け止め積み重ねられてきた仏閣なのだなとも実感したものです。
この日も複数の参拝者様が和やかにお参りされておりました。

 

 

 

早速、この日の霊的な参拝記録を探っていきましょう。
当然ながら、非常にパワフルで存在感がある不動明王がおられます。黒鉄ちゃん達たちも不動明王様にご挨拶し、その時に一言ご教示をいただけたそうでした。
それに加え、最澄ともコンタクトが取れたとのことでした。こちらのご本尊である不動明王像は最澄様が日本に持ち込んだと伝えられているのです。
他の仏様もおられ、そちらにもお参りしたのですが、この日は黒鉄ちゃんたちは他の仏様とはお話しなかったそうです。

 

仏様以外の霊的存在についてです。
境内の『みたらせの滝』は眷属の龍様の仕事場兼宿り場となっているようです。
護摩焚き以降にうちに巡回してくださるようになった紅龍様もこの日みたらせの滝にいらっしゃったようですが、お仕事中であったので黒鉄ちゃんたちは挨拶だけに留めたそうでした。
こちらの紅龍様含めて、この時はみたらせの滝に龍様が三名おられたそうです。
そのうちの一人が一時期うちに滞在していた紅蓮龍(赤黒龍)の泰山くんでした。まだ龍神の資格は得ていないようでしたが、見違えるほど逞しい大人の龍となっていたようです。黒鉄ちゃんも泰山くんとここでたっぷりお話したとのことです。ちなみに、同時にこちらに弟子入りした『火の鳥の縁ちゃん』という子もいたのですが、この日は不在だった(菅谷不動尊に在籍はしている)そうです。泰山くんも毎月28日のうちへの巡回に参加してくれているそうでした。
この日滝に居たもう一名はこれまで個別認識していなかった黒龍様であるとのことでした。

 

そして菅谷不動尊の境内には、仏様の眷属ではない自然霊の狼さんが生息しています。
境内、といっても仏様の領域には常駐していない(入ることはある)そうです。ならばどこにいるのか。境内の奥、石段を上った先にある『日吉神社』の領域を活動範囲としているようです。神社の神様の眷属でもない、自然の精霊たちです。この日は十四名の狼さんが日吉神社にいらしたようです。
日吉神社の領域は男性の鼻高天狗さん(一名)が守っておられます。そして、菅谷の土地神として炎の力を持つ、銀色を帯びた赤い龍神がおわします。
こちらの紅龍神様からは二名の女性の狼さんが彼女たち自身の勉強・修行のために遣わされました。双子の姉妹で、人間で言うと中学生程度の成熟度。どちらも大地の力を宿していて、毛皮も目も黒色。呼び名は『理沙(りさ)』・『智沙(ちさ)』としました。

 

この後、新発田市内の他の神社などを尋ねるのもありかなと思っていたのですが、夕方に差し掛かっていたのでこちらの参拝をもって神社仏閣巡りを切り上げ、農産物直売所などに寄りながら新津の実家へと戻りました。新潟県内に店舗のない成城石井様の製品もとんとん市場様で購入できる! などの気付きを得た帰路でした。

 

私は参拝の度に神秘現象や明らかなお導きを感じる! という訳ではないのですが(気付いていないだけという可能性は大いにありますね)、この日の参拝は驚くほど『導かれている』感覚があった、不可視の計らいを実感できた参拝となりました。